【2カ国目】ベトナ〜ム ホ〜チ〜ミン♪
夜21時頃にベトナムのタンソンニャット空港に着いた。
到着ゲートを抜けて外へ出ると、香港では感じなかったむわっとした湿度と大量のおじさんたちからのそれはそれは熱い歓迎に圧倒され、思わず吹き出してしまった。
圧倒されながらも「まさにこの異様な雰囲気をまさしく求めていたんだ!」と気分が高揚した。
何故この時間にこんなに多くのおじさんたちがいるのかというと、空港から出てきた観光客を我先にと客引きしているのだ。
みんな「俺のタクシーに乗れ!」と言っているようだ。
日本では馴染みは少ないが、特に東南アジアではGrabという送迎サービスが広く普及している。
乗り場と行き先を指定するとルートと金額が先に表示され承認すると初めて迎えに来てくれるというシステムなのでぼったくられることもなく、安全にしかもリーズナブルに目的地に行けるのだ。
私たちもそんな画期的アプリGrabを駆使して宿へと向かったのだが、人通りの少ない路地で車は停まった。
平然と「着いたよ」と言うおじさんドライバーに少し怯えながら「ここじゃない。間違えてる」と伝えたが「ここで合っている!」と返ってきた。
確認すると行き先の入力を間違えるミスをこちらがしていたようだ。
謝ってから「もう一度行き先を入力するからそこまでお願い」と頼むとOK!と心良く連れて行ってくれたのだが、着いたのはまたまた違うホテルだった。
重い荷物をトランクから下ろしてくれている心優しいおじさんドライバーに「ここ違う、、、(汗)」と伝えると流石に呆れていた。
間違えて着いたホテルのフロントに聞くと正しい場所を教えてくれた。
ホテルの住所とGrabの地図が少しズレていたようで、本当の場所は200mほど先だった。
流石に申し訳なかったので「ここからは歩いていくから大丈夫」とおじさん伝えて何とか無事に宿に到着した。
おじさんありがとう。
フロントのお兄さんありがとう。
アジア旅序盤にして最終的に信じられるのは人だと思い知らされた。
そんなこんなでようやく着いたホテルだが、香港では窓無し3畳の独房のような宿だったので、今回も内心不安だったが良い意味で期待は裏切られた。
壁と家具の色合いがとても好き
共有部分もいい感じ
いつかこんな家に住みたい
意外と知られていないが、ベトナムは日本の本州とほぼ同じ大きさがあり、今回は首都のホーチミンを旅先に選んだ。
何故ホーチミンにしたかと言うと、伝説のローカル番組「水曜どうでしょう」の最終回でHONDAスーパーカブに乗って北はハノイから南はホーチミンまで約1700km(青森から博多くらいまで)縦断するという無謀な企画を見たからだ。
もちろん僕もバイク乗りとしてレンタルしてホーチミンを爆走した。※その際とんでもない事件が起きるのだが長くなるので今回は割愛。
バイクで色んなところに行った。
サイゴン中央郵便局
ナイトマーケット
布屋さん
激辛だけど激うまのバインミー
看板猫
アオザイ博物館
決定的瞬間
ただこの国は楽しいことだけでは無かった。
今回の旅で絶対に行きたかった場所リストの一つにベトナム戦争証跡博物館があった。
社会の教科書にはベトナム戦争について1行だけしか載っていない。
だから直接来て、知ろうと思った。
米軍は1962~1971年、南ベトナム解放民族戦線、通称ベトコンのゲリラが身を隠す木や食料を奪い、一掃しようとベトナム南部に8000万リットルの枯れ葉剤を散布した。
ベトナム政府によると、最大300万人のベトナム人が枯れ葉剤にさらされ、今も先天性欠損を抱える子ども15万人を含む100万人以上の人が健康への深刻な影響を受けている。
そしてベトナム人被害者たちは、米国に補償を求める活動を行ってきたが、成果はほとんど上がらなかった。
米連邦最高裁判所が2009年に訴えを却下したほか、米政府も枯れ葉剤の製造者も責任を認めていない。
私達日本人には関係のない場所で起きているようなことと感じてしまうが、枯れ葉剤をまいたアメリカ軍の飛行機は沖縄から飛び立っていた。
僕は沖縄にもルーツがあるのでどうしても他人事とは思えなかった。
ベトナム戦争証跡博物館を出た後、道端で枯れ葉剤の後遺症と見られる奇形の赤ちゃんを抱いているお母さんを見かけた。
これは過去の話ではなく、現在もベトナム戦争は終わっていない。
ベトナム戦争証跡博物館
タイトル「Mother」
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